Jリーグ横浜F・マリノスの中澤佑二選手が引退を発表しました。
ボンバーヘッドが似合うあの長身のディフェンダー、中澤選手のプレーが見られなくなるのは少し寂しい限りです。
今回の引退発表の記念に、中澤選手の経歴とその輝かしいJリーグでの記録を書き留めて置きました。
目次
中澤佑二選手のプロフィール
まず最初に、中澤佑二のプロフィールをご紹介します。
出 身 地 日本・埼玉県吉川市
生年月日 1978年2月25日(40歳)
身 長 187cm
体 重 78kg
在籍チーム 横浜F・マリノス
ポジション DF(センターバック)
背番号 22
利き足 右足
プロサッカー選手前の経歴
サッカーを始めたのは小学校の6年生のときで、サッカー人生は、他の選手より少々遅いスタートとなりました。
入学した高校(埼玉県立三郷工業技術高等学校)も、サッカーの名門校でなかったため、サッカーのスキルを磨くべく、卒業後にブラジルへのサッカー留学を敢行しました。
ブラジルでは、クラブチームのアメリカFCに所属し、段々力をつけて練習試合にも起用されるようになりました。
しかし、1年後のビザ更新のため一時帰国するも、クラブチームからビザ更新に必要な書類が届かず、結局、ブラジルでのプレーを断念せざるを得なくなってしまうのです。
そこでJリークに売り込むも、クラブからのオファーもなく、仕方なく母校のサッカー部で在校生に混じって練習を続けたそうです。
その後、1998年に当時のヴェルディ川崎のユースチームとの練習試合で得点を挙げる活躍がきっかけとなり練習生契約での加入が決まりました。
しかし、練習生契約というのは、給料は無給、必要費用をクラブに支払って練習に参加するというものでした。
クラブからは交通費などの金銭補助は一切無く自費での練習参加で、地元の埼玉県吉川市からヴェルディの練習場がある東京都稲城市まで、片道2時間かけて練習に参加していたそうです。
交通費は往復で約1800円もかかり、この時の経験は本人にとって屈辱だったそうです。
プロのサッカー選手としての経歴
東京ベルディ(2000年まではベルディ川崎)時代
1999年に当時のベルディ川崎とプロ契約を締結。
もともと力のある選手なので、この年のシーズンでレギュラーポジションを獲得し、Jリーグ新人王にも輝きました。
シドニー五輪をめざすトルシエ率いるU-23サッカー日本代表に招集され、2000年に開催された本大会にも出場することになりました。
横浜F・マリノス時代
2002年に横浜F・マリノスに移籍し、チーム初の2連覇(2003年、2004年)と3ステージ連続優勝(2003年は1st、2ndステージ完全制覇、2004年は1stステージ優勝)に貢献します。
2004年度にはJリーグMVPを受賞しました。
また、2006年のオールスターゲームでは、当時の日本代表GK川口能活から直接フリーキックを決め、DFとして初めてMVPを受賞しました。
直接フリーキックでのゴールは初めてのことと当時のインタビューで答えています。
2013年から3年連続リーグ戦全試合出場を果たし、2015年10月ヴィッセル神戸戦でJ1通算500試合出場を達成しました。
個人タイトル
中澤選手が取得した個人タイトルを掲載します。
まず、Jリーグ関係では、
- Jリーグ最優秀選手賞 1回(2004年)
- Jリーグ新人王(1999年)
Jリーグベストイレブン 6回(1999年、2003年~2005年、2008年、2013年) - Jリーグフェアプレー個人賞 2回(2015年、2017年)
- J1リーグ・月間MVP 1回(2017年6月)
そして、その他では
- AFC All Star Team 1回(1999年)
- 日本年間最優秀選手賞 1回(2004年)
- AFCアジアカップベストイレブン 1回(2004年)
- 東アジアサッカー選手権最優秀DF 1回(2008年)
- Jクロニクルベスト ベストイレブン(2013年)
を取得しています。
まとめ
Jリーグ横浜F・マリノスの中澤佑二選手が引退を発表しました。
ボンバーヘッドが似合うあの長身のディフェンダー、中澤選手のプレーが見られなくなるのは少し寂しい限りです。
管理人は、個人としての記録で特に素晴らしいと感じているのは、何といっても2013年7月6日の大分トリニータ戦から2018年8月15日の名古屋グランパス戦までの178試合連続フル出場です。
これは、フィールド選手として歴代1位の記録で中澤選手が正真正銘の鉄人であることを証明する輝かしい記録だと思います。
中澤佑二選手、お疲れ様でした。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。