平成29年8月27日、超党派の国会議員で構成されるスポーツ議員連盟の総会が開催され、国民の祝日の「体育の日」を「スポーツの日」に改める法改正案が報告されました。
早ければ、今秋の臨時国会にも祝日法の改正法案が提出される見通しになったと報道されています。
「体育」を「スポーツ」に改める?これは一体どういうこと?
「体育の日」を「スポーツの日」に改める必要があるのでしょうか。
「体育」と「スポーツ」で言葉に何か意味の違いがあるのでしょうか。
体育とスポーツの言葉の違いや法改正の狙いとするところを調べてみると、意外にも、これらの言葉の背景にある日本と西洋の歴史的文化的な違いを知ることになりました。
それでは、体育とスポーツの違いについて、更にはその背景にある日本と西洋の歴史的文化的な違いについて解説していきます。
ごゆっくりご覧ください。
目次
国民の祝日・体育の日を制定した背景・趣旨について
「体育の日」は、1964年の東京オリンピックの開催を記念して、開会式が行われた10月10日を「国民の祝日」として制定したものです。
その後、余暇を楽しむために連続する休日を実現させる「ハッピーマンデー」に基づく改正により体育の日が「10月10日」から「10月の第2月曜日」に変更されました。
また、体育の日の意義は、「スポーツにしたしみ、健康な心身をつちかう」ことであり、このとき既に「スポーツ」という言葉が使われています(国民の祝日に関する法律第2条)。
しかし、スポーツ議員連盟総会では、名称変更と同時に、その意義についても、「スポーツを楽しみ、互いを尊重し、健康で活力ある社会を願う」に変更する案を紹介して、スポーツの意義を明確に打ち出そうとしています。
そもそも、スポーツと体育、一体何が違うというのでしょうか。
体育とスポーツをそれぞれ翻訳してみると?
ちょっと視点を変えてみましょう。
「体育」という言葉を英語に訳すと「physical education」となりますね。
では、今度は逆に、「sport」という言葉を日本語に訳すとどうなりますか?
「体育」ではないですよ。「体育」には既に「physical education」という訳語がありますからね。
うーーーんと唸ってしまいますね。
でも簡単です。それは「スポーツ」です。
「sport」を日本語に訳すと「スポーツ」なんです。これは、翻訳アプリを使ってみてもそうなりました。
「そんな、インチキな!」などと言わないでください。要するにスポーツという言葉は外来語なのです。
なぜスポーツは外来語で、従ってそれに対応する固有の日本語がないのか?
それは、スポーツという言葉で指し示されることがら(実体)が日本には存在しなかったということではないでしょうか。
存在しない実体を指し示す言葉なんか生まれるはずはありませんからね。
欧米には存在して日本には存在しなかったもの、それがスポーツなんです。
一方、それに近い言葉として日本に存在したのが「体育」という言葉です。
しかし、これを英語に訳すと「physical education」、そしてこれを改めて日本語に直訳すると「身体鍛錬(教練)」。日本の「体育」とは、知育、徳育などと同じ教育用語の一つなわけです。
教育の一環として使われ、富国強兵、教練など何やら明治時代の古臭い臭いがする言葉に属していそうな感じです。
これで、体育とスポーツの違いが段々明確になってきたのではないかと思います。
スポーツの歴史的文化的背景
スポーツ評論家の玉木正之氏は、
スポーツは、例えばフットボールの「オフサイドは反則」というルール一つ取ってみても、紀元前数千年のメソポタミア文明から古代のローマ、中世フランス、産業革命期のイギリスにまで至るフットボールの歴史を知ることが必要で、それは西洋史を学ぶことと同じだったといいます。
そして、「古代ギリシャと近代イギリスで誕生したスポーツは民主主義の成立と関係し、暴力(戦争)で勝った者が支配者となった古い社会が、選挙や議会の話し合いでリーダーを決める非暴力的な新しい民主制社会に変わることで、暴力的な格闘や闘いも非暴力的なスポーツに変化した、ということも教えられた。」
「つまりスポーツとは身体を鍛える体育の要素だけでなく、知育や徳育(スポーツマンシップ)の要素も含む人間の作り出した素晴らしい文化である。」
「それは学校での保健体育の授業では教わらなかったことだった。青少年の身体を鍛えるための体育教育も、もちろん大切だが、強制的な身体訓練(体育)だけでなく、自主的に参加し、プレーを楽しむと同時に「オフサイドはなぜ反則か?」「スポーツと民主主義の関係は?」といったさまざまな知識も身に着ける。
体育の日がスポーツの日に変わることで、そんな体育以上のスポーツの素晴らしさに、多くの人々が気づいてほしいものだ。」と結論付けています。
スポーツとは、体育はもちろん知育、徳育などの教育的な要素を含む大きな概念であり、それはもう一つの文化ではないかと言うのです。
サッカーJリーグの発足を皮切りにVリーグ(バレーボール)やBリーグ(バスケットボール)の設立など、近年、いろいろな分野で「体育」から「スポーツ」への流れがでてきております。
2011年にはスポーツ基本法が制定され、2015年にはスポーツ庁が創設されるなど、スポーツは学校体育の枠を超えて広がっています。
日本体育協会は日本スポーツ協会、国民体育大会は国民スポーツ大会への変更も検討されているといいます。
「体育の日」はスポーツ議連の報告を受け、2020年の東京五輪・パラリンピックを見据えて、再び衣替えすることになるのでしょうか?
まとめ 体育とスポーツの言葉の違いの背景に西洋との歴史的文化的な違いがあった。
それでは今回のまとめです。
超党派のスポーツ議員連盟が国民の祝日の「体育の日」を「スポーツの日」に改める法改正の動きをみせています。
今なぜ、そんな改正が必要なのか、そもそも、体育とスポーツの言葉の違いとは何かを考えていくと、日本と西洋の歴史的文化的な背景の意外な違いが浮かびあがってきました。
スポーツは、体育や知育、徳育をも含む一つの文化であり、それが持つ自主的でフェアーな精神を踏まえて、「体育の日」を「スポーツの日」に改める動きに賛同したいと思います。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
【追記】
国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律(平成30年法律第57号)が平成30年6月20日に公布され、国民の祝日である「体育の日」の名称が「スポーツの日」に改められました。
その意義も「スポーツを楽しみ、他者を尊重する精神を培うとともに、健康で活力ある社会の実現を願う」とされました。
施行は、平成32(2020)年1月1日からです。