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バレンタインデー制定の由来とは?日本はなぜチョコレートを送る?

投稿日:2018-01-14 更新日:


2月14日はバレンタインデー。

日本では、この日は女性が思いを寄せる男性にチョコレートを贈り、愛を伝えることができる大変重要な日。思いを寄せる相手がいない女性は義理チョコを贈って男性を喜ばせる日。

しかし、このバレンタイデーの由来や歴史的な経緯を調べて行くと、管理人は、バレンタインデーの制定は、キリスト教興隆の歴史を証明する一つの出来事として理解できるのではないかと思うようになりました。

それはどういうことなのか?

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2月14日のバレンタインデーの由来とは?

2月14日はバレンタインデー。

バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にまで遡ると言われています。

バレンタインとは当時、キリスト教の司教をしていた人物です。従って欧米では、バレンタインデーを、セント・バレンタインデー、あるいは、聖バレンタインデーと呼びます。

時代は西暦3世紀、当時のローマ帝国皇帝クラウディウス2世は、愛する妻を故郷に残して戦場に行く兵士は妻や故郷を恋しがり、士気が下がるという理由で兵士たちの婚姻を禁止したと言われています。

これはどうやら史実ではないようですが、バレンタインデーを制定する一つのきっかとするために創られた話かも知れません。

それはともかく、キリスト教の司祭だったヴァレンティヌス(バレンタイン)は、婚姻を禁止されて嘆き悲しむ兵士たちを憐れみ、彼らのために内緒で結婚式を行っていました。

やがてそのことが皇帝に知られてしまい、怒った皇帝は二度とそのような行為をしないよう、かつ、キリスト教から改宗するよう、ヴァレンティヌスに命令しました。

しかし、ヴァレンティヌスは毅然として皇帝の命令に屈しなかったため、最終的に処刑されてしまいます。

その処刑の日が2月14日でした。

バレンタインデーとは、聖バレンタインの命日なんです。

ではなぜ皇帝は、この2月14日を聖バレンタインを処刑する日に選んだのでしょうか。

このことを探求していくと、キリスト教が辿った迫害から興隆への歴史の流れを見ることができます。

聖バレンタインデーはキリスト教の興隆の証し!?・・その歴史的意味とは?

当時、ローマでは、2月14日はすべての神々の女王であり、家庭と結婚の神でもある女神ユノーを祝う日でした。そして翌2月15日は、豊年を祈願し、また清めの祭りでもあるルペルカリア祭の始まる日でした。

当時若い男女は普段は別々に生活しており、そのためもあって、この祭りの前日、娘たちは自分の名前を書いた札を桶の中に入れ、翌日、男がその桶から引いた札の名前の娘は、少なくとも祭りの間だけはパートナーとしてその男と一緒にいることと定められていました。

そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、結婚したそうです。

皇帝は、キリスト教の司教である聖バレンタインを祭の生贄として捧げるために、あえてこの女神ユノーの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日に処刑したと言われています。

当時はキリスト教が迫害されていたということも背景にありました。

 

さて時は流れ、200年後、当時の教皇ゲラシウス一世は、ルペルカリア祭で行われていた独身の男女がくじ引きでつきあう相手を決めるという風習に風紀の乱れを懸念していました。

そこで、この祭りに代えてキリスト教の殉教者を祀るお祭りにしたのです。

そして殉教者として選ばれたのが、200年前、恋人達のために命を落とした、かの聖バレンタインだったのです。

こうしてキリスト教以前からあったルペルカリア祭は、バレンタイン由来のキリスト教の祭りに意味付けを変えられてしまいます。

ローマ皇帝によって処刑された聖バレンタインがキリスト教の教皇により殉教者として名誉を回復されるのです。

聖バレンタインデーの制定は、正にキリスト教が隆盛して行く過程を示す一つの物語ではないかと思うのです。

このようにキリスト教では、異教の祭りをキリスト教仕様に置き換えてしまう歴史的な出来事がほかにもあります。

古代ケルト人が行っていたハロウィンも同様の経過を辿っているのではないかと思います。

それ以降、欧米では2月14日の聖バレンタインデーは、キリスト教の中で恋人達がギフトやカードを贈り合う日として定着して行きます。

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なぜ、日本では女性から男性にチョコをプレゼントするの?

日本のバレンタインデーでは、女性がチョコレートを男性にプレゼントします。

西洋では男女それぞれが思いをよせる相手にカードを送り、チョコレート、花などの贈り物をします。もちろん義理チョコなどはありません。

日本で最初にバレンタインデーの広告を出したのは神戸のモロゾフで、何と戦前の1936年のこと。しかし現在のバレンタインデーとのつながりは不明です。

戦後の1958年(昭和33年)にメリーチョコレートが東京・新宿の伊勢丹デパートで “バレンタインには女性から男性へチョコレートを贈りましょう” というキャンペーンを行ったことが日本独特のバレンタインデーの起源となりました。

メリーチョコレートによると、”女性から” とした理由は、デパートで買い物をするのは圧倒的に女性だったこと。

また、当時のアメリカのウーマン・リブ運動の影響を受けて女性誌がたくさん創刊されるなど、”女性ももっと意見をとか、恋愛においても女性がイニシアチブをとりましょう” という風潮があったからといいます。

その後、日本チョコレート・ココア協会が、2月14日を “チョコレートの日” と制定し、デパートなどの流通業界も加わって大々的にチョコレート商戦を繰り広げました。

そのため、1970年代後半から「女性から男性へのチョコ」が定着し始め、今日に至っています。

まとめ

それでは今回のまとめです。

2月14日のバレンタインデーの由来は、古代ローマ帝国の時代にまで遡ると言われています。

欧米のバレンタインデーでは、男女それぞれが思いを寄せる相手にカードを送ったり、チョコレート、花などの贈り物をするという現在のような形になったのです。

そして、その間に聖バレンタインの処刑から殉教者としての名誉回復という歴史の流れがあります。

ただ、日本のバレンタインデーは、女性がチョコを男性にプレゼントするという特殊な形に定着してしまいました。

これは1月後の日本独特のホワイトデーと同様、日本の菓子業界の巧みな宣伝効果によるものではないかと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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管理人の浅野清美と申します。
長年勤めた役所を退職した元地方公務員。
現在は、現役の時にお世話になった役所の退職者を会員とする一般社団法人の事務局で会員ボランティアとして活動しています。
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