2月11日は建国記念の日です。
国民の祝日に関する法律には、この日を「建国をしのび、国を愛する心を養う日」と定められ、国民に対して建国へ思いを馳せ、愛国心を養うことを目的に制定されたということが書かれています。
実は、建国記念の日が定められるまでに約10年の歳月を要しました。
9回の議案の提出・廃案を繰り返し、1966(昭和41)年にようやく落着した経緯があります。
なぜこんなに時間がかかったのでしょうか?
また、建国記念日ではなく、建国記念の日と定めるのはなぜなのか?これらに意味の違いがあるのでしょうか。
西欧諸国にも、建国を祝う日を定めている国は多くありますが、調べてみると建国の意義が日本の場合と相当違うことに気づきました。
その違いとは何か?
そして、建国に対する欧米流の考え方を日本に当てはめるとどうなるのか、考えてみました。
目次
「建国記念の日」の制定の由来とは?
日本では、日本の初代天皇・神武天皇が即位された紀元前660年1月1日(新暦では2月11日)を日本の国の起源としてお祝いする紀元節という建国の祝日が明治5年から始まりました。
紀元節は、戦後の昭和23年まで続きます。
しかし、「紀元節が天皇を中心とする日本人の結束を強め、再び米国の脅威となる」ことを懸念したGHQの意向により日本政府は、紀元節を廃止してしまいます。
日本という国は、戦後しばらくは米軍が占領し、GHQが裏で日本を支配していたのですね。
国民が自分の国の建国を祝いたいという気持ちは自然なものです。
あるテレビ局がアンケート調査した結果、全国民の80%以上が「建国を記念する日」を望んでいるということが判明しました。
そこで、建国を祝う日を定める法案が検討され、国会に提出されて審議が開始されます。
その内容は、簡単にいうと「紀元節の復活」
しかし、神武天皇の即位日である2月11日を建国の日とするといっても、神武天皇自体が実在したかどうか分らない神話の世界の人物(127歳まで生きたとされています。)
そういう人の即位日といってもピンときませんよね。
「日本の正確な起源などわかっていないのに建国記念など定められない」という専門家の意見もあり、簡単には決めることができませんでした。
かといって、他の日を建国の祝日にする決め手もありません。
結局、2月11日を建国の祝日(建国記念日)ではなく、建国の日は不明だが建国したことは間違いないので、その建国を記念してお祝いする日という意味で「建国記念の日」と定めたわけです。
建国記念の日というのは、決着するまでに約10年もの歳月がかかった、全くの妥協の産物なのです。
これで国民は心から建国記念の日を祝うことができるのでしょうか?
欧米諸国の「建国記念日」は?
目を海外に向けて、欧米の「建国記念日」はどうなっているのか調べてみました。
全部調べたわけではないので保証の限りではありませんが、概ね3つのタイプに分けることができそうです。
- ①独立記念日を建国記念日とする国
アメリカ 大陸会議(独立13州の代表者会議)で独立宣言書に署名した日
(1776年7月4日)
ガーナ イギリスから独立した独立記念日(1957年3月6日)
ウクライナ ソビエト連邦が崩壊し独立宣言をした日(1991年8月24日)
- ②解放記念日を建国記念日とする国
ブルガリア オスマン帝国から独立宣言し解放された日(1878年3月3日)
アルバニア イタリア軍から解放を宣言した日(1944年11月29日) - ③永世中立国宣言をした日を建国記念日とする国
オーストリア 永世中立国宣言をした日(1955年10月26日) - ④そのほかスイス連邦共和国は、ハプスブルク家の支配から独立するため、ウーリ,シュヴィーツ,ウンターヴァルデンの三州が誓約者同盟を結んだ日(1921年8月1日)を建国記念日としていました。
日本のように国の起源がいつかなどというアプローチで建国の日を決めようとする国はありませんでした。
長い間鎖国をして外国からの侵略や占領に会わなかった島国日本で建国を考えると、どうしても国の起源を考えてしまいます。
欧米では、国として対外的に独立した日とか支配や占領から解放された日を建国の日として祝う場合が多いのです。
日本とは違い、地続きの大陸を国境で分け合う欧米諸国の歴史は、いわば侵略、占領(支配)、解放、独立を繰り返す歴史なのです。
国自体が分割や併合を繰り返すようなところで建国として国の起源を考えるのは、あまり意味の無いことなのでしょう。
そのため、欧米では、建国を祝う日といえば、一番素直に国を挙げて祝うことができる独立記念日とか解放記念日になるわけです。
日本の建国を欧米諸国と同じ観点から考えてみる!?
日本の建国の日を国の起源という曖昧なものに求めるのではなく、独立とか解放という観点で考えてみました。
するといくつか時代の節目となりそうな歴史的事実が考えられました。
①明治維新
西欧列強の侵略から国を守るために幕藩体制を打破し、新しい日本という統一国家の建設を目指した明治維新こそは、正に建国という名に相応しい出来事だったのではないでしょうか。
しかし、明治政府がとった富国強兵策は、軍部の暴走もあって、その後の日本を日清・日露に始まる悲惨な戦争へと突き進ませるのです。
そして太平洋戦争、東京を始め主要都市の大空襲、広島・長崎の原爆投下。
これらを経て8月15日の敗戦を迎えることになるわけです。
西欧列強の侵略から国を守るために統一国家の建設を目指した明治維新が皮肉にも国民にこれほど多大な負担を強いてしまったのです。
②日本の敗戦後、日本を占領していた米軍が撤退し、GHQの支配から解放された日(擬似独立記念日)
日本が戦争に敗れ、米軍に占領されてGHQに支配されたことを「第二の開国」という学者がいます。(第一の開国はもちろん明治維新)
敗戦後のこうした占領・支配の経験が、明治維新に匹敵するほどのインパクトをもった出来事だったことを言いたいのだと思います。
③GHQにより一度は廃止させられた「紀元節」を「建国記念の日」として復活させた日(政令を定めた日)
国民の祝日に関する法律では、建国記念の日として定める具体的な日にちを政令に委任しております。
そこで、形式的すぎるかも知れませんが、政令で具体的に定めたその当日を建国の日とすることも考えられるのではないでしょうか。
まとめ
それでは、今回のまとめです。
今年の建国記念の日を前に、建国ということについて自分なりに考えるため、いろいろ調べてみました。
一番意外だったのは、建国というと、日本が国の起源を考えるのに対し、欧米では国の独立とか解放ということに着目して建国を考えていることでした。
考えてみれば、確かに日本と欧米では、国というものに対する見方や考え方、いわゆる国家観というものに大きな違いがあると思います。
そこで、「日本の建国を欧米諸国のような独立や解放といった観点で考えたらどうなるか」ということを思考実験的に試みてみました。
管理人としては、建国ということを欧米流の観点から考えると、明治維新こそが、日本の建国というに相応しいのではないかと思うのです。
戦前の歴史的事実を含め、戦後の高度経済成長からバブル景気、その崩壊後の失われた10年いや20年、そして現在の日本の在り様、これらを全部含めて近代日本の出発点となったのは、やはり明治維新ではなかったのかと思うのです。
それを祝うかどうかは、別の問題ではあります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。