「2018さっぽろ雪まつり」の開催時期が近づいて来ました。
昭和25(1950)年から始まったさっぽろ雪まつりは、今年で69回目を迎えます。
今では世界的な一大フェスティバルとして知られる雪まつりですが、どのようないきさつで誕生したのか?
また、札幌の戦後の成長は、冬季オリンピックの招致なくして語れないと言われますが、実はオリンピックの招致は雪まつりあってのことでした。
それはどういうことなのか?
今年の雪まつりの日程とともに、その誕生のいきさつなどを報告します。
2018さっぽろ雪まつりの日程(会場と開催期間)は?
今年のさっぽろ雪まつりの会場と開催期間は、次のとおりです。
①大通会場(大通西1丁目~西12丁目)及び②すすきの会場(駅前通(南4条~南7条))
2月5日(月)~2月12日(月・振休)の8日間
③つどーむ会場(東区栄町885番地1-札幌市スポーツ交流施設・つどーむの屋内外)
2月1日(木)~2月12日(月・振休)の12日間
さっぽろ雪まつり誕生のいきさつとは?
さっぽろ雪まつりは、誰か一人の発案で生まれたものではなく、戦後間もない当時の社会経済状況の中で、それぞれの方のそれぞれの思いが合体して誕生したものだったのです。
- ①敗戦のショックが依然として残る、食料や燃料などの物不足という暗いムードを吹き飛ばし、明るい社会に変えて行く何かが必要だ。
- ②観光資源が皆無の札幌に、人々が集い交流し、賑わいをもたらす何かが必要だ。
- ③戦後の不況による人心の混乱によって多発する青少年の犯罪対策のため、若者のエネルギーのはけ口となるような場所や機会が必要だ。
そうして、その何かとして、ある人は冬の行事として親しまれた札幌一中(現札幌南高校)の「雪戦会」(雪中の旗とり合戦)と小樽の小学生が校庭の雪で造った雪像との組合せを考えました。
また、ある人は小樽の手宮の小学校の行事で造られる雪像をヒントに、それの大掛かりなものを構想したりしました。
だが、問題はお金。この企画を実行する肝心の観光協会にはそんな予算はありません。
そこで、協賛商社を募集して資金を捻出することになり、最初はその募集を1年かけて行い、開催は、翌年の昭和26年の春という計画でした。
しかし、求める「何か」が明確となり、具体的に「雪のまつり」という形が見えてくると、この企画は、もう誰にも止められない「暴走列車」のようになってしまったのです。
観光協会は関係者の意気込みを察知し、開催を急遽前倒しして昭和25年の春とする決定をします。だが、協賛商社を募集する時間がない。予算をどこから調達するのか?
その時現れた救世主が、今は無き「北海タイムス」(新聞社)でした。
当時、合併して発足したばかりの「北海タイムス」は、新聞の目玉となる新しい事業を懸命に探しており、この「雪のまつり」は「北海タイムス」にとって、願ってもない事業だったのです。
このようにして「さっぽろ雪まつり」の開催計画は進められ、最終的に札幌市が参加することで、初めて公の行事となったわけです。
2018年さっぽろ雪まつり大通会場の雪像の制作状況
大通会場を写真撮影した時点(2018年1月31日)では、雪像は、制作途上のものがほとんどで、架設が組まれていたり、作業員や重機が作業をしていて構内立入禁止でした。
そのため、ベストアングルがとれず、分かりにくいものが多いのですが、完成前の雪像やその作業風景をご覧いただくことも一興と思い、ご紹介します。
(1) 西1丁目には、体験型アトラクションとして屋外スケート場を設けています。既に業務を開始していて、学生のアルバイトが客の呼込みをしていました。
因みに、写真の真ん中にある奥の建物が札幌市役所の本庁舎です。
(2) 西2丁目では、今年が「北海道」命名150年となることを記念して、氷のバースデイ・ケーキを制作中。
【追記】(平成30年2月8日)
ライトアップした氷のバースデイ・ケーキです。
(3) 西3丁目では、高さ24m、全長60m、最大斜度39°の巨大なジャンプ台の設営作業中。雪まつり期間中、スノーボードやフリースタイルスキーのジャンプが繰り広げられます。
(4) 西4丁目に制作したファイナルファンタジーⅩⅣ ”白銀の決戦” 大雪像のプロジェクション・マッピング映像を紹介します(録音に失敗したので音響は無音)。
(4) 西5丁目には、台湾の旧台中駅の大氷像。既に完成していて、きれいに撮れています。
【追記】(平成30年2月8日)
ライトアップした台湾・旧台中駅の大氷雪像です。
(5) 西6丁目は、北海道の食の広場と銘打って、カニ、ウニ、ホタテなどを食材に使った北海道の冬の味覚を代表する定番海鮮料理などを準備しています。
(6) 西7丁目は、世界各国との友好・交流を深める広場です。
今年は、日本との国交150年を迎える北欧スウェーデン、ストックホルム大聖堂の大雪像が制作されます。
【追記】(平成30年2月6日)
完成したストックホルム大聖堂の大雪像です。
(7) 西8丁目では、「アイスブロック工法」と言われる雪でつくった細かいパーツを貼り付け、精細な箇所まで忠実に再現する独自の技術を駆使して制作された奈良・薬師寺 大講堂の大雪像が出現します。
【追記】(平成30年2月6日)
完成した奈良・薬師寺 大講堂の大雪像(正面と斜め)です。
【追記】(平成30年2月11日)
奈良・薬師寺 大講堂の大雪像でのプロジェクション・マッピング映像を紹介します(音響は無録音)。
(8) 西10丁目では、手塚治虫 生誕90周年を記念して、手塚漫画の主人公を配置した大雪像がつくられます。
なかなかベストアングルがとれず、撮影には苦労しましたが、どうにかアトムの顔が分かるところでシャッターを切ることができました。
【追記】(平成30年2月6日)
完成した手塚漫画の主人公たちの雪像です。
(9) 西9丁目、11丁目、12丁目では、市民の広場や国際広場として、一般市民が制作する雪像の展示や国際雪像コンクールがなど開催されます。
市民が制作する雪像は、ほとんどがこれから作業を開始するため、雪の塊が大きな白い墓石のように林立しているのが印象的でした。
【追記】(平成30年2月6日)
完成した市民雪像を同じ立ち位置から撮影しました。
まとめ
それでは、今回のまとめです。
さっぽろ雪まつりが誕生したいきさつについて調べてみると、そこにはストーリーのドラマティックな展開が待ち受けていました。
管理人は、そこにさっぽろ雪まつりの誕生に係わった人々の強い思いとそれが引き寄せた奇跡的な出会いというものを感ぜずにはいられません。
札幌市は、世界的な一大フェスティバルにまで成長した「雪まつり」の成功により、日本や世界中の人々に知られるようになり、それが冬季オリンピックの招致に大きな力となったのです。
かつてオリンピック招致のため、各国を歴訪した板垣武四・元札幌市長(故人)は、次のように述べています。
オリンピック招致のため、各国を歴訪した際にも、多くの人たちが「札幌のスノーフェスティバルをぜひ見たいものだ」といってくれました。「それならば札幌でオリンピックを」すかさず私はこう誘ったものでした。
雪まつりは札幌を有名にし、オリンピックをもたらし、そのオリンピックがさらに札幌とその雪まつりを有名にしてくれました。いわば札幌の戦後史は雪まつりとともにあると言って良いと思います。(「雪まつりと私 ー序にかえてー」より さっぽろ文庫47 『雪まつり』)
今、札幌市は、2度目の冬季オリンピックの招致にチャレンジしています。
皆様の応援をお願いする次第です。
最後までご覧いただき、ありがとうございます。