毎年9月1日から3日までの3日間、人口2万人余りの街に25万人もの見物客が訪れる富山県富山市八尾町の盆踊り「おわら風の盆」・・・
哀愁の胡弓の調べにのせて歌われる越中おわら節。それに合わせて踊る山笠姿の踊り手たちの洗練された無言の踊り。
おわら風の盆ほど、情緒豊かで風情にあふれ、人々を魅了してやまないお祭りはありません。
今回は、そんな富山市の八尾町で行われる日本一静かな盆踊り・おわら風の盆について報告します。
おわら風の盆の起源、由来について
おわら風の盆の起源は、江戸時代の元禄の時期に遡るといわれます。
地元の史書『越中婦負(ねい)郡志』によれば、元禄の時に加賀藩から下された「町建御墨付」、今風に言えば「街づくり許可書」とでもいうのでしょうか。
この御墨付を得て八尾の町を建設した開祖米屋少兵衛の子孫が、その後町外へ移住した際に持ち去った御墨付を、ある策略により取り戻したお祝いに、八尾の町衆が三日三晩歌舞音曲無礼講の賑わいで町を練り歩いたのが始まりとされています。
元々は桜の花咲く頃だったのが、段々夏からお盆の時期へ、やがて台風の多い季節に移り、この賑わいは9月の風雨災害の無事を祈り五穀豊穣を祈る祭りへと変わっていったそうです。
また「風の盆」という名の由来については、富山の地元では、休みのことを「ボン(盆日)」というのが習わしで、例えば種まき盆、植え付け盆、雨降り盆などといい、「風の盆」も、その「盆」に由来するのではとも言われています。
「おわら」という言葉も気になりますが、大笑ひ説、大藁説など諸説あり、はっきりしません。
おわらの11団体とおわら保存会VS越中八尾おわら道場
おわら風の盆の祭りを担っているのは、八尾町内の、いわゆる旧町とよばれる10団体と旧町内外から移り住んだ人たちからなる「福島」という団体、それにこれらの団体の代表者によって構成される「富山県民謡越中八尾おわら保存会」です。
なお、いわゆる旧町とは、東町・西町・今町・上新町・鏡町・下新町・諏訪町・西新町・東新町・天満町のことです。
地元では、このおわら保存会を「本部」、11団体を「支部」と呼んでいますが、両者に組織的な指揮命令の関係はなく、風の盆の祭りでは各支部が自主的に活動しています。
一方、これら11団体と保存会の活動による伝承に異を唱え、「本来の型」にこだわって違った伝承活動をしている「越中八尾おわら道場」という団体があります。
従来の「おわら」が観光化され、唄も三味線も踊りも段々崩れていくことに危機感を覚えた本物志向の人々が、全国から集結して立ち上げた団体です。
こうした芸能文化の伝承について異なる意見の団体が存在し、お互いが切磋琢磨することで、おわら風の盆がこれからも発展してゆくのなら、それはそれで素晴らしいことではないかと思います。
おわら踊りについて
おわら踊りは、踊り手とおわら節を唄い楽器を演奏する地方(じかた)といわれる人たちで成り立っています。
楽器は、三味線に胡弓、太鼓が使われます。
1 おわら踊りの種類
おわら踊りの種類には「豊年踊り」(旧踊り)「男踊り」「女踊り」の3通りの踊りがあります。
- 豊年踊り-最も古くからある素朴な踊り
- 男踊り-「かかし踊り」ともいわれる勇壮な踊り
- 女踊り-「四季踊り」ともいわれ、春夏秋冬に応じた所作がある艶やかで優雅な踊り。
次に述べる町流しや輪踊りを中心に踊られるのが「豊年踊り」、それに対して舞踊的な踊りで主にステージなどで披露されるのが「男踊り」と「女踊り」です。
2 おわら踊りの3つのシーン
現在行われている踊りは、3つのシーンに分けられます。
- ①町流し
町の通りを唄い踊りながら流すもので、従来は昼間から行われていたのです。
観光客が押し寄せるようになってからは、観光客の減る深夜に住民たちが思い思いに「夜流し」を行うようになりました。
しかし、今では夜流しを目当てに訪れる観光客も多く、現在の町流しは予め決められた時間に行われており、一種の観光客向けのイベントとして行っているともいえます。 - ②輪踊り
地方を囲むように踊り手が輪を作り踊るもので、これには、各町の演技者のみで行うものと、観光客も交じって行うものと2種類があります。 - ③舞台踊り
男踊り、女踊り、豊年踊りを各町が創意工夫を凝らし体系的に組み合わせて行うもので、演舞場、各町の特設ステージ等で踊ります。
まとめ
それでは今回のまとめです。
おわら風の盆は、毎年25万人前後の見物客が訪れる、富山県を代表するお祭りです。
哀切感に満ちた旋律にのって唄われる越中おわら節に合わせて山笠姿の無言の踊り手たちが、坂が多い八尾の道筋で洗練された踊りを披露します。
こんなに風情があって情緒豊かな盆踊りはほかにありません。
実は管理人は、昨年11月に八尾を訪れました。
能登の和倉温泉に行くバス旅行の途中で、休憩時間に訪れたのです。
祭りが終わって2ヶ月も経っており、その名残りもありませんが、八尾の町の道筋と曳山展示館(越中八尾観光会館)に展示されている曳山を撮ってきたので、掲載します。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
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